最近、とにかく『ハート・ロッカー』が観たくて観たくて仕方がない。
なのに、CATV放送を録画したはずのディスクは見当たらず、Amazon primeでは配信が終わっていて、悩んだ末に禁断のNetflixに入会したけど、ここにもない(後悔はしてないが)。
とうに退会したTSUTAYAに復帰するか、いっそ円盤を買うかとまで思い詰めたけど、どのみちこのブログのコンセプトは私の生態日誌だったと思い直し、今回は「どうしてこんなに『ハート・ロッカー』が観たいのか」について書くことにしました。
なんかホント、すみません……。
戦時下のイラク・バグダッドで爆発物処理に従事する特殊部隊EODの活躍を描くサスペンス・ドラマ。04年夏、これまでに870以上の爆発物を解体処理しているジェームズ2等軍曹がEODの新リーダーとして赴任してくる。部下となったサンボーンとエルドリッジはあと39日でEODの任務から外れる予定だったが、恐れ知らずのジェームズにより、これまで以上の危険にさらされることになる。監督は「ハートブルー」「K-19」のキャスリン・ビグロー。第82回アカデミー賞では作品賞以下6部門を受賞、ビグローは女性で初めての監督賞受賞者となった。(映画.comより)
監督のキャスリン・ビグローって、染色体はXXだけど、どう考えても中身の方は男の中の男。前世は戦士だと言われても驚かない。しかも、かなりヤバい戦場をくぐり抜けてたんじゃないかと思う。
なにせ彼女、常態を見失った人間描くのが、上手すぎる(ほめてます)。
爆弾処理がすべてになっていて迷いもないジェームズは、一見魅力的。ただ、戦場でしか生きてる実感が持てなくなっている姿は、まあやっぱり異常ですよ。
そして、その異常な主人公が、登場から最後まで、異常な自分から脱却しないし、脱する努力すらしない。
映画の中で事件は起こるけど、主人公の心の動きに起承転結がない。
だからジェームズは、映画の中では死なない。心の内も語らない。PTSDに苦しむ姿も、あまりない。再び戦場に戻るエンディングは、映像も音楽も高揚感にあふれてカッコいい。
ただね、あー、こいつ絶対、畳の上で死ねないわ、との予感もあるんですよね。
正直にいうと、以前はね、そのぞっとする予感に、ちょっと昏い魅力を感じてました、本当に。
ただ、今はね……。
実は私、社畜の度が過ぎて心身もたず、ただいま絶賛休職中でして。
休んだ当初は仕事の悪夢にうなされるほどだったのが、今はだいぶ持ち直したんですけどね。ブログ書くくらいには。
で、最近、何度も思い出すのが、映画の終盤、ジェームズが任務を終えてアメリカに帰国してスーパーに行くシーンなんですよ。
シリアルの棚の前で、ジェームズが途方にくれているの、どれを買えばいいのか選べなくて。戦場では息を吸うように爆弾処理する男が、買い物ひとつできない。
これ、休み始めた時の自分が、かぶるんですよ。
私の場合は、スーパーに行こうとして何着て外に出ればいいのかわからなくなって、気づいたら2時間経ってたりしてました。挙げ句、諦めてそのまま寝たりして。
戦場とは比べ物にならないとしても、仕事にのめり込みすぎた状態で走る人間ってのは、ジェームズ同様、尋常な何かを見失うんじゃないかと思う。
今の私は休む以前の仕事の仕方はもうできない、以前のままに戻るのは怖いって気持ちが大きい。
その一方で、以前と同じように仕事したい、しなきゃと思う自分もいる。あの仕事の仕方じゃ早死にするぞ、とわかってるんだけど、まだそういう意識は残ってる。
だから、いまこの映画を改めて観ることで、ジェームズに魅力じゃなくて恐怖を感じたい、自分で自分に引導渡したい。
そんな風に思ってます。
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