前世戦士の映画日誌

前世が戦士らしい女が映画を観て色々吐き出します 生態日誌です

『最後の決闘裁判』リドリー・スコットは配慮を知らない(ネタバレなし)

f:id:sinok_b:20211231225726j:plain色々物議をかもしている『最後の決闘裁判』。さすがの私もこの映 画でいつもの調子で文章書く気にはなれず、とは言っても書かないまま年越ししたくなく。
帰省の移動中にスマホアプリで書いてますんで(いつもはパソコン)、荒い文章とレイアウトなのはご容赦のほど。

巨匠リドリー・スコット監督が、アカデミー脚本賞受賞作「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」以来のタッグとなるマット・デイモンベン・アフレックによる脚本を映画化した歴史ミステリー。1386年、百年戦争さなかの中世フランスを舞台に、実際に執り行われたフランス史上最後の「決闘裁判」を基にした物語を描く。騎士カルージュの妻マルグリットが、夫の旧友ル・グリに乱暴されたと訴えるが、目撃者もおらず、ル・グリは無実を主張。真実の行方は、カルージュとル・グリによる生死を懸けた「決闘裁判」に委ねられる。勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者は罪人として死罪になる。そして、もし夫が負ければ、マルグリットも偽証の罪で火あぶりの刑を受けることになる。人々はカルージュとル・グリ、どちらが裁かれるべきかをめぐり真っ二つに分かれる。「キリング・イヴ Killing Eve」でエミー主演女優賞を受賞したジョディ・カマーが、女性が声を上げることのできなかった時代に立ち上がり、裁判で闘うことを決意する女性マルグリットに扮したほか、カルージュをマット・デイモン、ル・グリをアダム・ドライバー、カルージュとル・グリの運命を揺さぶる主君ピエール伯をベン・アフレックがそれぞれ演じた。

2021年製作/153分/PG12/アメリ
原題:The Last Duel
配給:ディズニー
(映画.comより)

間違いなく、この映画はリドリー・スコットの作品の中でも傑作です。
リドリー・スコットって映画監督のなかでも、とりわけ「いかに全てを映像で語るか」に力を置きまくって色々バランス崩してる人なのですが、この映画は映像でここまで人間の感情を伝えることが できるのかと、見ているこちらが慄くほどの作品でした。
もちろん、役者の演技あってのものですけど、その演技をさらに増幅させる画を撮るのがリドリー・スコットなわけです。
リドリーは、この映画で人の感情を描き切りました。野郎どもの勝手で野蛮な姿を、男の論理に適応する道を選んだ女たちの姿を、神の名の元に臆面も疑問も持たず彼女を追い詰める男たちを、そして理不尽さを感じつつも沈黙して生き延びることを選んだ女たちを(ほとんどセリフの無い女性陣でも表情はしっかり拾っている)。
誰に肩入れすることもなく。

だから、問題なわけですよ。
この映画の出来が悪ければ、問題は違う形になったのではないかしらん。
リドリー・スコット個人の主義主張ははともかく、映画監督としては、徹底して第三者の視点を崩さない。
一人一人を同等に扱っている。むろん、最後の章の主体をマルグリッドにしていることで、彼女の視点こそが真実なのだと暗にわかるようにしている。
してはいるが、これを声高にうたっている訳ではない。
わかるやつにはわかるだろ、いや普通わかるだろ、という、リドリー・スコットらしい演出だと思う(だからわからなかった記者のアホな質問に怒ったりしている)。

でも、だから、そのことに不愉快な思いを感じる人がいることもよくわかる。
リドリークラスのヒットメーカーが、どうして今このご時世に、ちゃんと女性の真実をはっきりと主張した映画にしなかったのかと。
私個人の印象では、リドリー・スコットが明らかな女性蔑視や差別意識を持っているとは思えない。
彼は、女性が男性より劣っているなんて微塵も意識していないし、必ずしも男性がヒーローだと考えてもいない。
あの年代の白人男性にしては、マシな方だと思う。
その一方で、自分には差別意識がないと思っている人あるあるで、本人が社会的に包含された差別意識について意識がしていないこと、映画監督として表現することが先に立っているがために、いま現実に苦しんでいる女性がいる現状に真に寄り添って考えられない人でもあると思う。

そのうえ、そもそも画で容赦なく内面を暴くことを重視するあまり、そのほかのことへの配慮はあまり(ほとんどかも)しない監督なもんだか ら、余計に困る。
これ、彼が巨匠だからとか金になる映画を作るから平気だってこともありますが、どんな画にするか、が、リドリー・スコットの映画づくりの中心で、それ以外は二の次だからじゃないかなと思います。
改めて思えば、リドリー・スコットの映画ってあまり声高に主義主張したりしない。
物語をいかに画で伝えるか、それ自体が彼にとって一番重要なことで、物語そのものは本当は二の次のような気がする。これは本人が意識してる訳でなくて、映画監督としてそういう才能なのだとしか言いようがない。
だから容赦のない映画が平気で撮れるわけで、その容赦の無さが好きな理由でもあるんだけど。
なにせ、リドリー・スコットが大好きな上に、女性がひどい目にあう大抵の映画(何せ、レイピストの野郎どもが世にも残酷な目に遭わされる姿を見たくて『アイ・スピット・オン・ウイア・グレイヴ』*1まで見た女である) を平気でみてきた私でさえ、第三幕はかなりきつかった。

私は結構平気で過去のダメ彼氏エピソードを話しますし、モラハラDV気味の元カレにラブホで殺されかけた話(若い頃のことです)はすっかり昇華されてもはや武勇伝として話せますが、それでもこの男については思い出すの嫌な記憶もあります。

いいですか?
殺されかけたことを思い出すより、嫌な話なんですよ。
それがこの映画のせいでフラッシュバックしたんですよ。

同じような場面は、山ほど映画で観てきたのに、こんな思いをしたのは初めてです。
だからこの映画は間違いなく傑作なんだけど、人の記憶をゴリゴリ掘り返せるほどすごい映画なんだけど、私は二度と見ない。
リドリー・スコットの映画は全部ソフトを持っているけど、これだけは買わない。

私も、何でもかんでもわかるように撮ることが是だとは思いません。
でも、この映画の場合は、あのレイプシーンは撮って見せなきゃ、演出でにおわせるだけでは、ダメだったろうなと思います。
なぜなら、演出でにおわせるだけでは、男性原理にどっぷりつかった男性と、その男性原理に服従してしまった女性には、わからないんですよ。
彼ら彼女らにとっては、目で見える「事実」だの「現場」だのが無 ければ、この映画は本当に「真実は藪の中」なのです。

そんなの、事実かどうかわかるでしょ!?見せる必要ないでしょ! ?
はい、私もそう思います。でも見せないと「本当はどうだったんだろう?」というところに焦点があたってしまい、くそみたいな男性原理と決闘裁判というアホな制度に対し、正義を求めた女性の姿がブレてしまっただろうとも思います。

そして、この映画は見せなきゃわからない人たちに向かって、作られたような気がしています
脚本はマット・ デイモンとベン・アフレックです。この二人が「女性パートは女性脚本家にお願いしよう!」と(多分)単純に考え、女性パートはニコール・ホロフセナーが書いています。
それなのになんでレイプシ ーンがもう1回出てくるのか。
これ、完全に私のただの憶測ですが、レイプシ ーンでマルグリッドがどんな思いをしたのか、はっきり書かないとこいつら(マット&ベン)はわかんねーんだな、と、彼女は思ったんじゃないでしょうか

ニコールがレイプシーン除いて書く→マット&ベンが「これじゃわかんないから、ちゃんとシーン書いて」→ニコールが「こいつらこんなにアホなのかよ!」とあきれて、「じゃあ、アホでもわかるように書いてやるよ!」と徹底的に書いた……とかね。
あ、どうしよう、なんかこれってありかもと思えてきた。
違ったら誰か違うって言って。

 

公開タイミングのせいか、内容のせいか、単に「決闘裁判」という 一般的には耳慣れない言葉のせいか、リドリー・スコット映画史上 稀に見る赤字となるらしいこの映画。
パンフレットも作られていません。決闘裁判について予備知識の無い人が見たら間違いなく解説が欲しくなる、#MeToo絡みの解説や製作陣のコメントも知りたくなる映画なのに、パンフレットがない。
私は中世ヨーロッパ史が大好物なので、この元になった事件については微かに記憶があったんですが、やっぱり詳細が知りたいので原作買っちゃいました。

中世は暗黒だ、いや暗黒だというのは現代の感覚だ、という議論を昔読んだ記憶があります。私としては、やっぱり中世は暗黒時代だと思います。
決して暗愚な時代とは思いませんが、知識と知性を全力で残酷で愚かなことにつぎ込んでいた時代という意味では、 やはり暗黒時代だったんです、中世ヨーロッパは。

ただですね。
勝ちさえすれば名誉回復する(正確には夫の名誉だが)中世と、屈辱に耐えに耐えて裁判で勝訴してもSNSで被害者が叩かれ続けたりする現代と、この点だけを比較するなら果たして どちらがマシなのか。
それはいまいち私にもわかりません。

*1:前半女性が恐ろしくひどい目に遭い、その復讐で男どもがひどい目に遭うが、個人的にはもっとひどい目に遭わせていいと思っている。女性がひどい目に遭うところを観るのが嫌な方は、前半飛ばして後半だけ観るのもあり

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』ジェームズ・ボンドよ永遠なれ(一番肝心なところのネタバレあり)

f:id:sinok_b:20211123024444p:plainなぜ、私たちは007シリーズを観るんでしょうか。

スパイ映画アクション映画、この世には山ほど007のような、そして007より出来のいい映画は山ほどあるのに。
なのに、007と聞いただけど、どうしてこんなに気持ちがざわめくのか。

緊急事態宣言が明けて、通勤時の狂った混雑が戻ってきた最近の東京です。
大分体調が戻ってきていた私でしたが、まだ死んだ魚の目のような会社員の群れとともに電車に乗れる状態ではなかったらしく、通勤時に冷や汗や動悸や吐き気が出るようになった今日この頃。
通勤は時差出勤でなんとか乗り切ってますが、それにしても急に増えた人の多さにエネルギーを取られ、お陰で観たい映画は山ほどあるのに、映画館に行く気力のでない日々。

でもね、これは、『007』は、観にいかねばならぬのですよ。

ジェームズ・ボンドの活躍を描く「007」シリーズ25作目。現役を退きジャマイカで穏やかな生活を送っていたボンドのもとに、CIA出身の旧友フィリックス・ライターが助けを求めにやってきたことから、平穏な日常は終わりを告げる。誘拐された科学者を救出するという任務に就いたボンドは、その過酷なミッションの中で、世界に脅威をもたらす最新技術を有した黒幕を追うことになるが……。ダニエル・クレイグが5度目のボンドを演じ、前作「007 スペクター」から引き続きレア・セドゥーベン・ウィショーナオミ・ハリスロリー・キニアレイフ・ファインズらが共演。新たに「ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密」のアナ・デ・アルマス、「キャプテン・マーベル」のラシャーナ・リンチらが出演し、「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディ・マーキュリー役でアカデミー主演男優賞を受賞したラミ・マレックが悪役として登場する。監督は、「ビースト・オブ・ノー・ネーション」の日系アメリカ人キャリー・ジョージ・フクナガ。

2021年製作/164分/G/アメリ
原題:No Time to Die
配給:東宝東和
(映画.comより)

なぜ観に行かねばならぬのか。
「007」が好きとかファンだとか、そういうことじゃないんです。
あ、いや、好きよ、好きなんだけども。
でも私が一番好きなボンドはやっぱりショーン・コネリーで、コネリー以降のボンドは顔が好みじゃないとか老けてるとかタキシードがイマイチとか優男だとか、失礼千万なケチをつけるような心の狭いヤツなんです。
そのくせ、映画館での鑑賞は覚えている限りでは少なくとも『美しき獣たち』からは皆勤賞で、それ以前の作品も当然ながら全部観ているわけで。シリーズベスト(ちなみに『ロシアより愛を込めて』。自分でもベタすぎると思う…)は答えられても、ワーストはないし。
なのに決してマニアではないので何が語れるわけでもなく、そういうことが読みたい方はこんな駄文読むのはやめて他の方のブログを読んでいただいた方がいいですよと言ってしまう程度のヤツではあるんですが。

でもともかく、その程度の私でさえ、人混みがツライとかそういうことは、新作の007を映画館で観ない理由にはならんのです
だからといって、観なければいけない理由は何なのか、と聞かれると答えにつまる
とにかくそういう映画なのです、『007』は。

クレイグ版ボンドは、当初世界中がケチをつけた金髪碧眼ボンドなんて!という姿形は、私はまったく気にならず。
正直いえば、顔より体に眼がいっちゃってて。体だけなら、コネリー以来の大ヒットだ!と、思ってたんです。
ところが1作目の『カジノ・ロワイヤル』を観たら、ユーモアのないボンドに世間とは逆にちょっと引いちゃって。
世間が絶賛した部分に違和感持ってしまうなんて「私って実は、嫌なオールド・ファン気取りだったんか……」と、自分でもちょっとショックだったり。
でも2作目3作目と観る度にユーモア度やトンデモ度が増していき、とくにQがベン・ウィショーになった3作目以降はおちゃめな演出も増えて、すっかり居心地の良いクレイグ版ボンドが出来上がっていました。

クレイグ版ボンドは、ボンド自身には大してユーモアは無いんです。そのかわり、センスが無いからこその笑いってのもあって、そこはダニエル・クレイグの演技力と監督の力量が光るところ。
今回は、ユーモアセンスの無さを自虐ネタ?にしていて「自分でもわかっとるんかい!」と心の中でツッコんだし。MI6の受付で、不愉快そうに「ボンド……ジェームズ・ボンド」と名乗ったり。いままでで一番、笑ったんじゃなかしらん。
その代わり、キメるところはビシッと冷徹にキメるところがさすがです。

私がコネリー版ボンドが好きな理由は、色気もユーモアもあるのにやっぱり人殺し、って危険な雰囲気があるからです。
ブロスナンまでの他のボンドは、この「人殺し」感がちょっと物足りないんですよー。特にブロスナン版ボンド。
ピアース・ブロスナンって好きですけど、彼のボンドは華麗すぎて人殺してる気がしないんですよね。ブロスナンは人殺しより詐欺師が似合う。その意味では「スパイ」っぽくはあるけどさ。

でも00ナンバーは「殺しのライセンス」なんですよ。任務のためなら人殺ししてもOKなんですよ。
いや警官だって身の危険があれば犯人射殺したりするだろう、って言うそこのあなた!
警官だろうが犯人を射殺した場合は正当性を問われるんですよ、映画やドラマで見えないところで調書取られたり報告書書いたりしてるんです。

でも、くどいよーですが、00ナンバーは「殺しのライセンス」。正当性とか関係なしに、任務のための人殺しはOKなんです。
どっちかつーと、スパイというより「暗殺者」。
その点、クレイグ版ボンドは、人殺し感が半端ない。
そして色気とユーモアは、演出とダニエル・クレイグ自身が年を重ねてキャラを練り上げて身に着けていったから、今作では最高潮。
ま、色気の方は若い子がどう思うかは、映画内でカッコ可愛いパルマちゃんによって証明されちゃってますが、観てるこっちはダニエル・クレイグと一緒に歳とったんで、十分色っぽい。
確かにショーン・コネリーとは違う、違うけど、私にとってのジェームズ・ボンドに必要な要素は全部そろってる。

はい。お気づきの通りです。
ショーン・コネリーの次に、ダニエル・クレイグのボンドが好き
『ノー・タイム・トゥ・ダイ』で、遂に自信をもってそう言えます。

コネリー版ボンドになれなきゃ、クレイグ版ボンドになりたい。
私も、” I know…” って惚れた女に言って死んでみたい(落ち着け)
今生で女に生まれるまで、前世では紀元前から3000年くらい繰り返し男やってたらしい私ですが、一回くらいそんなカッコいいセリフ言って死ねたのかしらん。いや、できてないから、やってみたいと思うんだろうか。

……ちょっと話がズレましたが、とにかく、そんなクレイグ版ボンドは今作で終了です。
世間ではもう次のボンド役は誰だ!とざわざわしてます。
不思議です。
なぜ、ジェームズ・ボンドは役者を替えて作り続けることが当たり前なのか?

……いや、私にもさっぱりわからないんですけどね。
でも、ジェームズ・ボンドは、とにかく世界にいなければならないキャラクターのような気がします。映画館で、ふとそう思った自分がいました。

強いて言えば、007は常に作られたその時代を纏っているキャラクターだからかもしれません。同じキャラクターだからこそ、時代の変遷がよくわかる。
だからこそ、ボンド役者も演出も、時代に合わせて変わらなきゃならない。
今みれば、コネリー版ボンドはやっぱりあの時代の映画です。古いなーって思うことも多々あります。

それでも、やっぱりボンドはボンドなんだから、変わってほしくないとこもある。
色気があって、女にも男にもモテる男でいてほしい。
高級スーツとタキシードを着て、高級車を乗り回していてほしい。
ガジェットは必須、頭が良くて腕っ節が強くて、世界を救う人殺し。

そういう男なんて世界から消え去れ、という時代が来るまでは、ジェームズ・ボンドは永遠に作り続けられる気がします。

『銀河ヒッチハイク・ガイド』さようなら、と言われる程度の人類である私たち

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皆さん、衆院議員選挙、行かれましたか?
私は誰に憚ることなく権利を振りかざせる選挙が大好きなので、行って参りました。選挙用紙に候補者名を書く時のあの快感、いいですよね。
思惑通りの結果になれば「選んでやったんだから働けや」と思い、選んでない相手が当選すれば「仕事ぶりで俺様を納得させてみせやがれ」と思う。
一度でいいから、選挙用紙を振りかざし、足元に候補者をひざまづかせてみたい(権利の間違った使い方)。
政治家なんて国民の召し使いだと、田中芳樹は『創竜伝*1で書いていた。黒澤明は『七人の侍*2で、結局勝つのは農民(侍ではない)と言っていた。
そういうコンテンツにまみれて育ってきたので、つい思う。最近どうした日本よ。

そういう人間なので選挙結果にはモヤモヤしております。
が、実を言えば私の国家というものに対する考え方は右の左の保守のリベラルの、ましてや宗教のといった主義主張の斜め上にあったりして。
そうなった一因は、若い頃SF小説漬け(なぜかSF映画にハマったわけではない)だったことにあります。この映画の原作も、その頃出会いました。

宇宙のバイパス工事のために地球が消滅。その寸前、フツーの英国人アーサーは、親友のベテルギウス星人デントとともに宇宙をヒッチハイクする旅に出て、2つの頭を持つ躁病気質の元銀河大統領ザフォドの宇宙船へ。彼らは「人生、宇宙、すべてについての答」を知るのだが……。原作はモンティ・パイソンの脚本も書いたダグラス・アダムスが、自作ラジオドラマを小説化したSFコメディ。監督は音楽クリップ出身のガース・ジェニングス。

2005年製作/109分/アメリ
原題:The Hitchhiker's Guide to the Galaxy
配給:ブエナビスタ

(映画.comより)

このブログではいつも映画.comから解説をお借りしているのですが、またえらくあっさりした解説ですよね。それもそのはず、解説したりあらすじ説明したりしようもないのがこの映画。
原作の『銀河ヒッチハイク・ガイド』にいたっては「……元銀河大統領ザフォドの宇宙船へ。」までが限界かと。

私は人様の書いたものにケチ付けられるほど偉い人間じゃないですが、もし他のサイトで真面目にこの映画の「テーマ」について解説してたら、知ったかぶりじゃねーか?と疑ってください。
私から言えるのは、この映画の「テーマ」について真面目に解説できるのは、アダムスの研究者の方だけで、その方々も多分、「え? テーマ?」っていうんじゃなかろーかってことだけです。
とにかく意味がわからんのです。この話。小説にしろ映画にしろ。
テーマってなに? 起承転結ってなに? 
いやはや、真面目な人は怒るよね、これ。

原作者のダグラス・アダムスモンティ・パイソン*3にも関わったことのある人なので、作品は全部(遅筆にすぎる上に早逝したため小説は言うほど数はない)シニカルなコメディ色が強く、ああイギリス人で天才で狂ってるなあと思う(偏見)
でも私を含めてファンが多いのは、わけがわからんのに、とにかく筆力がすごくて強引に世界感に引きずり込まれるからなんでしょうね。
ちなみに私は、わけわからなすぎて、何度読んでも「面白い」以外はキレイに忘れてしまうので、読み返すたびにやっぱり「面白い」。

で、映画なんですが。
これね、脚本家(アダムスが書いてる途中で亡くなったため、別の脚本家が完成させた)と、監督のガース・ジェニングスの力量がもう神がかっていて。
この訳の分からない原作を、曲がりなりにも起承転結つけてるわけですよ。とにかくエピソード(ネタ)の積み重ねのような小説をですよ、細くて細くて蜘蛛の糸かよってほど細いながらも一本の筋の通った物語に仕上げてる。
だから原作と全然違うオチ(いや原作にオチはあるのか?)になるんですが、だからどうしたっていうんです。

よく、「映像化不可能といわれた〇〇を映画化!」なんて宣伝文句の映画、ありますよね。でも言いたい。
映像化不可能ってのは、技術的な問題とか物理的な問題とか、そういうことを指してるんだと思います。でもそれって、いつかは何とかなるのです、科学の進歩で。
不可能を可能にしたってのはですね、そもそも芯になるストーリーがない小説を、2時間近く観客を引っ張って最後にオチまでつくように仕上げたこの映画のことを言うんですよ ! 分かりますかね!(力説)
私にとって銀河ヒッチハイク・ガイド』は小説の映画化作品ベスト1です。
『メッセージ』*4もビックリしましたし、『ロード・オブ・ザ・リング*5も感激しましたけどね。
「すげー! 物語になってる!」という感動を味わったのはこの映画だけです。だから1位。
余談ですが、2位はジム・カヴィーセル主演の『モンテ・クリスト伯』です。原作読んでる人はぜひ観てビックリしてください。全然違うのに原作通りだから。

そういうなんだかスゴイこの映画、なにげにキャストも豪華でして、なんのために出てくるのかよく分からない役にジョン・マルコビッチ、言動のすべてが意味不明で落ち着きのない役にサム・ロックウェル(似合いすぎる……)、マーティン・フリーマンはいつものマーティン・フリーマン、多少まともなズーイー・デシャネルビル・ナイ、声の出演ではなんとヘレン・ミレンアラン・リックマンですよ。
多分、みんなダグラス・アダムスが好きなんでしょう(偏見)。

でも、私がこの映画で延々頭に残り続けるのは、その誰でもなく(いやさすがにサム・ロックウェルの奇怪な演技は多少残るけど)、冒頭のイルカです。

ときどきふいに、イルカの歌「さようなら、いままで魚をありがとう」が脳内でリピートされます。頭に残るんですよね。

youtu.be

イルカたちの上から目線の優しさと冷淡さは、25年前に一人旅したイギリスの印象そのままです。イギリス人、どこ行っても親切だったけど、なんとなく東の果てから来た女の子だから優しくしてあげよう、ってニュアンスも感じました。ま、昔のなんでいまは知りませんが。

人間は、この小説・映画の世界では、たかだか地球で3番目に賢い程度の生き物で、1番目と2番目の生き物とは意思の疎通すらできません。
バイパス工事の予定も知らない、ただ宇宙の演算システムを構成するパーツでしかないモノです。

……だから、私にとって国家とは本音では「たかが国家」なんです。地球単位、いっそ銀河単位で良くね?と思う人間です。無政府主義じゃないですよ。
ただ、国単位だの主義主張単位だので同じだ違うだギャーギャー争うなんて、もっと大きな世界で観れば、ちっちゃい話だと思う。そういうろくでもない人間なのですよ。
ちっさいならちっさいなりに、今日のお茶一杯が美味いとか、そういうことを大事に生きたらどうですかね。
そしてまあそのちっちゃいちっちゃい国の上に立つ人間がするべきことは、今日のお茶一杯をみんなが美味しく味わえるためにどうすればいいのかを考える、本質はそれだけなんじゃないかと思ってます。
そこに注力せずに、権力闘争したりマウントの取り合いしたり、銀河全体から見れば芥子粒より小さい国家なんてものを独占して支配してやろうなんて連中は、あの訳の分からんサム・ロックウェル演じるザフォド元大統領以下じゃないですかね。

まあだからイルカに言われるのでしょう。
さようなら、いままで魚をありがとう

さてさて、だれか宇宙のバイパス工事の予定を見に行ってくれませんかね。
もしかすると、今日が地球最後の日かもしれないし。

 

……いまさら気づきましたが、このブログ始めてなんと1年経ちました
すごい!始めた時は休職中だったのに、復職しても続けてる!
文章書くのが楽しいからってのが一番ですが、何気に毎回読んでくださる皆さんの存在はとってもとっても大きいのです!
細々すぎるほど細々やってますが、バイパス工事で地球が破壊されなければ、これからも続けてまいります!
では、よい午後のお茶を!

*1:竜王の生まれ変わりの四兄弟が何やかやと戦う小説。私が中学生の頃から書かれていて13巻まで頑張ったが、作者の遅筆が過ぎて私は挫折。政治家や権力者やその腰ぎんちゃくが完膚なきまでにボコられるので気分がいい。数年前に完結したらしいが未読。

*2:世界中の巨匠と呼ばれる映画監督たちが尊敬して真似したがる日本映画の巨匠オブ巨匠。あのたるみのないキレッキレの演出が、どうして日本でできないのかわからん。ちなみに私の一番好きな黒澤映画は『蜘蛛巣城』です

*3:イギリスのコメディアングループ。超高学歴&真のインテリジェンスが本気でバカをやる。天才と狂人は同義語だと思う。映画監督のテリー・ギリアムはメンバーの一人。さもありなん。

*4:あなたの人生の物語テッド・チャン著。このブログでも書いてるので良ければ読んでくださいませ。

*5:指輪物語』J・R・R・トールキン著。映画も長いが原作も長い。読むと止まらないので3連休は必須。

『ザ・グリード』誰かスティーヴン・ソマーズに映画を撮らせて下さい

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久々なところにいきなりですが、この映画、私の中では色んなベストにランキングされています。
映画としてもベスト10といいませんが、ベスト15には入ります。
そして邦題ランキング、チャッチコピーランキングは間違いなく1位です。誰が考えたのか存じませんが、邦題とキャッチを考えた方は心底尊敬しています。

ザ・グリード』、信じがたいことに邦題です。グリード=貪欲。うん、そのまんまの映画です。問題なし。
一方で、原題「Deep Rising」は意味不明です。無理やり意訳すると、なんだろ「深海から現れるもの」?
なんですかね、製作者より日本の配給の方が映画のポイントを抑えているというこの奇跡

そして映画宣伝のお手本と思われるキャッチコピー「喰って喰って喰いまくれ!」
写真も貼ってますが、これ、いまだに忘れられません。
映画館でこの予告編観た時、即座にタイトルと公開日をメモった自分(当時の習慣。スマホとか無かったし)。この予告編を知って観るかどうかで、この映画への評価って変わると思うのです。

だって本当に、怪物が人間を喰って喰って喰いまくってるだけの映画なんだもん。
本当にそればっかりなんですもん。
それ以外に何もないんですもん。

……素晴らしいじゃないですか、真っ正直で!

このキャッチコピーのお陰で、こちらの期待値は喰いまくるとこにだけ集中し、それ以外の雑さが全く目に入らない
多分、冷静になれば突っ込みどころしかないはずの映画です。でも私には何度観ても全ての粗が吹っ飛ぶ清々しさしか感じません。
なんとも潔い映画。
完璧です。
大傑作です。

海に浮かぶ豪華客船を舞台に、未知の巨大モンスターが大暴れするSFパニック。監督・脚本は『ハックフィンの冒険』(日本未公開)のスティーヴン・ソマーズ。撮影は「バッド・ボーイズ」のハワード・アサートン。音楽は「L.A.コンフィデンシャル」の巨匠ジェリー・ゴールドスミス。クリーチャーデザインは「トータル・リコール」でアカデミー視覚効果賞を獲得したロブ・ボッティン。視覚効果は「アビス」のドリームクエスト・イメージズ社と「ディープ・インパクト」のインダストリアル・ライト・アンド・マジック社が担当。出演は「プリンス・オブ・シティ」のトリート・ウィリアムズ、「ゴールデンアイ」のファムケ・ヤンセンほか。

1998年製作/107分/アメリ
原題:Deep Rising
配給:東宝東和

(映画.comより)

そういうわけで、相変わらず震えがくるほど楽しんだのですが、今回、多分初めて出てる俳優に気づきました(おい)

20年以上前の映画なんで、いまはそれなりに活躍している俳優が、非常に雑な扱いだったんですね。

ジャイモン・フンスーが、ろくに銃も撃たず一瞬で死亡ですよ(しかも勘違いで殺される)。今じゃあり得ないでしょう?
すっかり名脇役となったクリフ・カーティスだって、速攻補食です。
この映画の軽~いファムケ・ヤンセンを観て、後のジーン・グレイを想像できる人がおりますか?
一方で、今も昔もほとんど立ち位置が変わらないジェイソン・フレミングにほっこりしたりもしますが。

みんなここからステップアップしてきたんだなあ~としみじみ思う。まあ、観てるこっちも年取ったからって訳なんですが。

でもね。そもそもこの映画を作った、スティーヴン・ソマーズ監督、どこ行ったのよ。いや~、人に言うとバカにされるんであまり言わないんですが、わりと好きなんですよ、スティーヴン・ソマーズ

あ、いま、ヤツの過去作知ってる人が全員背を向けようとしている!
待って!待ってお願い!
もうちょっとだけ話聞いて!

私のソマーズに対するイメージは、とにかく「過剰にいっぱい」

ザ・グリード』は怪物の口(触手?)がいっぱい。被害者の数もいっぱい。

ハムナプトラ』シリーズは砂とミイラとサソリがいっぱい。

ヴァン・ヘルシング』はコウモリがいっぱい。

『GIジョー』は金物がいっ…ぱい? 

とにかくこの人、B級低能な設定を数でぶっ飛ばす映画を作らせれば最高です。アラに気付かれる前に観客の意識を量と勢いで持っていっちゃう天才なんです。
なのに、最近はとんとお見かけしない。

私ですね、ソマーズは『GIジョー』を撮らなければ、まだなんとかなったんじゃないかと思ってます。

「量と勢い」しか持ち味のない人に 、『GIジョー』なんてキャラ設定が大事な映画なんか作らせちゃダメなの。
ヴァン・ヘルシング』のちょい凝りめの設定ですらヤバかったのに、『GIジョー』なんてありもの世界設定とか無理だろ。
止めろよ、誰か。


最近何してるんだか、IMDbでもよーわからんし。でも好きなのよ。なんか彼の新作観たいのよ。
あれとかどうだろ、アサイラムの『シャークネード』シリーズのリブートとか。
サメをとにかくいっぱいいーーーーっぱい出してぐるんぐるん飛ばして山ほど人が食われるの。たぶん、本家よりサメ描写スゴいわよ。

一方で、ソマーズ自身はダメだけど、この人の映画に出た人って結構出世していってるのね。
さっき上げた『ザ・グリード』に出てる皆さんはもちろん、『ハムナプトラ2』の下半身サソリのロック様が、今やドュエイン・ジョンソンとして世界一稼ぐ俳優になるなんて、誰が思ってたかってのよ。

で、思ったのです。
ソマーズって、次世代スター俳優の踏み台なの。
踏み台監督。

ということはさ、やっぱり今後の若手のためにも、あなたはサメ映画かピラニア映画か、私ごときの想像力では及ばない何かをたくさん出してじゃんじゃん人が喰われたり殺されたりする映画を撮らなきゃダメなのよ。

そう、将来のスターを産むために、スティーヴン・ソマーズは映画を作ってもらわなきゃならない。

映画界のみなさーん!
スティーヴン・ソマーズにどうか映画を作らせてください!
しょっぼい企画で構いません! 彼ならなんとでも料理します!

有名俳優も要りません!
監督ではなく、未来のスターに投資すると思ってください!
どうか! どうかスティーヴンに適当な金と適当な企画をお願いします!

『PMC:ザ・バンカー』マルチタスクはやっぱり人間に向いてないと思う(がっつりネタバレあり)

f:id:sinok_b:20210911173635j:plain8月は大変でした。先月記事をUPした後、避けられない緊急事態で予期せず実家と東京を2度往復することになったんです。
仕事でタフな状態が続いてたところにそんなことをしたもんですから2度目の往復後に体調を崩し、人生で初めて失神を経験しました。血管迷走神経反射というヤツらしいです。
(このブログで何度も言ってますが、私、昨年過労で休職したPTSD持ち前世戦士です)

いやー、ビックリです。
立ってたはずなのに気づいたら天井が見えてまして。しかも記憶が残っている場所から2mくらい離れた場所だったんでなおさらビックリですよ。
膝や手、顔と頭の傷から推察するに、失神してまず左膝を床につき、次いで右膝もつきつつ右顔面から床に落ちた後、左方向へひっくり返って左後頭部をゴツンとやったようです(『CSI:科学捜査班』の観すぎ*1
お陰様で頭への衝撃は軽かったのですが、左膝と顔はなかなかハードにやられました。

顔はともかく(むしろネタになるので写真撮りまくった)失神が怖くて一時は外にも出られませんでしたが、今は大分体調は戻りました。
まだ左膝が少々変なのですが、こいつのお陰で頭を強打せずに済んだので銀星章*2くらいあげないといけませんね。

そんな状態で観た『PMC:ザ・バンカー』。実は観ようと思って観たわけではありません。
惰眠を貪ろう思っていた土曜日の朝、空腹が睡眠欲より勝ってまともな時間に起きてしまいまして。食事しながら何か観よーとテレビをつけたら、CS放送でちょうどこれが始まるとこだっただけという。
これが思いのほか面白かった。食べたら二度寝しようと思ってたのに、完全に目が覚めちまいました。
今までアフガニスタンに派兵されてる気分*3でしたが、今は朝鮮半島で戦ってる気分になってきました。

韓国と北朝鮮軍事境界線の地下要塞で展開する極秘ミッションを描いたサバイバルアクション。CIAから、北朝鮮の要人を捕らえて安全な場所へ護送する依頼を受けた傭兵エイハブは、11人の部下を率いてDMZ軍事境界線)の地下バンカーに潜り込んだ。凄腕のエイハブの手にかかれば、その任務は10分程度で完遂できるはずだった。しかし、アメリカと中国それぞれの北朝鮮をめぐる思惑に翻弄され、信頼していた仲間たちからも裏切られたエイハブの部隊はバンカー内で行き場を失ってしまう。暗殺者の汚名まで着せされてしまったエイハブが窮地を脱する唯一の方法は、敵の包囲網を突破して北朝鮮最高指導者「キング」を地上へと連れ出すことだったが……。エイハブ役を「神と共に」のハ・ジョンウ、北朝鮮の医師ユン役を「パラサイト 半地下の家族」のイ・ソンギュンがそれぞれ演じる。監督は「テロ,ライブ」でもハ・ジョンウとタッグを組んだキム・ビョンウ。

2018年製作/125分/G/韓国
原題:Take Point
配給:ツイン
映画.comより

この映画、一応アクション映画なんですが、主役のエイハブはほとんどアクションしてません。なぜなら確保対象の「キング」を連れて指令拠点に戻った後、仲間の裏切りに合って義足を壊され*4、動けなくなるんです。
で、あとは傭兵仲間が身に着けているボディカメラやバンカー内にコロコロ放った偵察カメラ(ホントにコロコロしてるんです)映像、そしてバンカーの設計図を頼りに傭兵仲間や「キング」の医者に指示したり、傭兵会社本部に応援要請したりします。
アクション(ほぼ銃撃のみ)は仲間たちが頑張ってる姿を偵察カメラ越しに観るだけ。私たちはエイハブとほぼ同じ視点でしか状況を観ることができませんし、同じ情報しかもらえません。
ボディカメラや偵察カメラの映像は動きに合わせてブレるため、ちょっと『ハードコア』*5を思い出したりして。
そのため、大半は独り床の上にいるばかりエイハブなのでフィジカルなアクションはほとんどありませんが、心のアクションは『ミッション・インポッシブル』*6でした。

わかる。
わかるよ、エイハブ。
お前の気持ちが私にはよ~~~くわかる!

ただでさえ予想外の反撃と裏切りでショックを受けてるとゆーのに、本部は政治判断を優先するわ、エイハブをスケープゴートにしようとするわと容赦なし。
当然、エイハブは本部相手に猛抗議とバックアップの要求をし続ける。と同時に、仲間は分断されて危機に陥り各々が「指示をくれ!」と求めてくるので、そちらの誘導もしなきゃいけない。
一方で確保対象のキングは死にかけていて、北朝鮮の医者を見つけてビデオ通話で指示を仰ぎながら、心臓マッサージや点滴の処置もする。その医者を指令拠点に連れてくるべく、仲間だけでなく医者も誘導。
ところがキングは心臓が悪いので、ちょっと目を離すとまた死にかける、ということを繰り返す。

これだけでも大変なのに、アメリカは証拠隠滅を兼ねて爆撃するし、敵側は戦車を投入(地下に……戦車……?)して仲間は全滅、自分も負傷。
ついでにアメリカにいる妻は、陣痛が始まり病院で出産中

とう事態にね、一人で対処して考えて決断して指示して冷静さを保てとか。

そのマルチタスク、無理じゃね?
適応するの、無理じゃね?

エイハブ、私と一緒に病院行こうぜ?(産科ではない)

あのですねー。
例え命の危険があろうとも、現場で銃の撃ち合いやってる方が、実は気が楽っ
てもんなんですよ。
究極のところ、敵を殺して自分が生きてりゃOKですから。目先の作業に集中すればいいだけなんです。

くっそ大変なのは、様々な事件が起こる度に、現場や同僚や上司や幹部や関連部門や親会社や現場の長やシステム会社やなんやらの間に入って、連絡・調整・説明・指示をして回ること、それらをどうやるか短時間で考えて決めていくことなんです。
その結果、作業する側が徹夜になって体力は削れる場合もありますが、神経削るのはこの間に入る一連のあれこれの方なんですよ。場合によっては前線で作業もしますし。
それを各案件同時進行でやるのは、マジでキツイ。
そして、これが私の日常業務であります。

え?
幹部や部課長が決断する方が大変だって?
普通はそうですね。
でもさ、だから高い給料もらってんでしょうが

先日ふと思いました。
なんでこのミーティング、参加者は私以外全員部課長職なのに、私が場を仕切ってやること決めて、仕事を各部門に割り振ってるんだろうって
うちの部長は最初から最後まで一言も発しなかったし。

こちとら、役無し管理職ですからね。
肩書無いですからね。
私の担っている仕事はうちの会社としては少々特異なので、実は見合ったポストがないんですよ(上司にも言われた)。

なのにです。
うちの会社は
肩書無かったら最高評価をもらっても「最低評価の課長」より年収が高くならないように給与設計されてますからね。
どれだけ頑張っても、給与の天井は見えているわけで。

だからね、エイハブが「報酬上げろ!」という気持ちが、痛いほどどころか激痛として感じるわけですよ。
こんな無茶苦茶なマルチタスクの上に責任転嫁されまくりの仕事、金でも貰わなきゃやってらんねーよ。

映画の最後ですが、ミッション完了後にもひと騒動(かなりの大騒動)があり、そこでエイハブは傭兵としての最低限の義務は果たしつつ、自分の人間としての意思を通したという形になりました。
多分、彼はこの後には傭兵会社はやめるでしょう。少なくともこの会社は。

うん、そうよね。
それがプロとしての、矜持と決断よね。
私も貴方を見習うわ。
だからエイハブ、とりあえず一緒に病院行こうぜ。

*1:アメリカの超有名な警察ドラマ。刑事の勘より証拠による捜査が主役。とはいえ、どんなわずかな証拠も見つけてしまうので、ある意味究極のご都合主義ドラマともいえる。

*2:アメリカ軍の勲章のひとつ。戦闘中の勇敢な行動に対して授与されるもので、軍人が出てくる映画やドラマによく出てくる

*3:『ローン・サバイバー』の記事をご覧ください

*4:以前の作戦で右足を失い、義足になったという設定。殺す気だったのに、なぜ生身の部分じゃなくて義足を撃ち続けたのかは考えないことにした

*5:ほぼ全編が主役の目を通して撮られているアクション映画。ウェアラブルカメラで撮影。無茶苦茶でものすごく面白いけど気を付けないと酔うので、酔いやすい人は画面から離れて視聴しましょう

*6:トム・クルーズがアドレナリン出したさに作り続けているアクション映画。

『ミッドサマー』老眼で恐怖が矮小化されて申し訳なかった話(演出のネタバレはあり)

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私、超がつくド近眼でして、コンタクト外すと隣に座ってる人間の顔もヤバいほどです。なのでめっちゃ度の強いコンタクトレンズをしてるのですが、ここ2年ほどは少し度を弱めてさらにレンズの種類を変えました。

なぜって、老眼ですよ、老眼。

こちとら五十路にジリジリにじりよってるところなんですよ。19年のラグビーワールドカップ直後あたりから急に、手元やパソコンの画面が見えづらくなりまして、遠近両用コンタクトレンズに変えました。
目のいい人が老眼になるとショックらしいですが、ド近眼からいわせてもらえば、贅沢な話です。
あのね、遠くも近くも見えないってね、焦点合わせるポイントがマジで難しい。ようするに、なんにもクリアに見えないんです。

で、遠近両用レンズのお陰でPC使うのは困らなくなったのですが、ちょっとした遠くが見えない。
一番困るのは、映画館で字幕がにじんでよく見えない。本質的ではない理由で、英語力上げないとまずいレベルになってきた。

長編デビュー作「ヘレディタリー 継承」が高い評価を集めたアリ・アスター監督の第2作。不慮の事故により家族を失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人たち5人でスウェーデンを訪れた。彼らの目的は奥地の村で開催される「90年に一度の祝祭」への参加だった。太陽が沈むことがないその村は、美しい花々が咲き誇り、やさしい住人たちが陽気に歌い踊る、楽園としか形容できない幸福な場のように思えた。しかし、そんな幸せな雰囲気に満ちた村に不穏な空気が漂い始め、妄想やトラウマ、不安、そして恐怖により、ダニーの心は次第にかき乱されていく。ダニー役を「ファイティング・ファミリー」のフローレンス・ピューが演じるほか、「トランスフォーマー ロストエイジ」のジャック・レイナー、「パターソン」のウィリアム・ジャクソン・ハーパー、「レヴェナント 蘇えりし者」のウィル・ポールターらが顔をそろえる。

(映画.comより)

そんなぼやけた視力でこの映画を劇場で観たときは、アリ・アスター監督の前作『ヘレディタリー 継承』*1の方がいいなあ、って思ったんです。
あとで書きますが、生理的嫌悪感は前作以上だったんですが、前作の方が不穏当な映像がちりばめられていたなーと感じまして。

でも先日CSで放送してたので、テレビで、つまり遠近両用レンズでも画面が十分クリアに見える距離で観たところ、随所に人を不安にさせる細かい演出がちりばめられてることに気づいたのですよ。

花だのなんだのを蠢かせてたり、何かわからないものが映りこんでたり、細かい壁の絵に色んな予見があったり。テレビの画面でみて、初めて気づきました。
あれは主人公の不安や精神状態を象徴していたり、物語の展開を予想させて不安を煽ったり、観客をトリップさせてるような感覚に陥らせたり等々、さまざまな思惑があって散りばめられているのですが、初見の時には老眼のせいだと思って、私、完全にスルー。せっかくの映像から、恐怖が私に届いていない。
その代わり、明るい場面がほとんどを占める映画なのにところどころちゃんと見えなくて、「ああ、老眼が進んだのか……」という、アリ・アスター監督がこれっぽっちも意図してない恐怖には駆られてましたが。

思えば前作を見た時は、まだ老眼ほとんど出てなかったわ。
真面目な話、字幕や演出をちゃんと視認するためには、もう遠近両用レンズはやめて、手元を見るときは老眼鏡使うしかないかもしれない。
そういう反省する心持で観ていたせいか、2度目の鑑賞でもどうにも恐怖心が湧いてこず。

本来ならですね、この映画は私にとって生理的に嫌いなタイプの集団を扱っているので、結構怖いはずなんですよ。
私、同じ格好の集団が、同じような行動をしているのが苦手なんです。なんといいますか、一瞬ぞわッとするんですよ。

同じ格好の集団とはいっても、スポーツのユニフォームとかは平気です。ラグビーみたいに15人とか、野球みたいに9人とか、数が知れてるじゃないですか。動きは個々で別ですし。
これが、制服や同じような恰好をして、一斉に同じような動きをすると、ぞわぞわっとするというか、変な圧を感じるというか。
えーっと、軍服は好きだけど、軍事パレードは生理的に気持ちが悪い、と言えばいいでしょうか。

……その、ようは、あのー、誤解を恐れずに言えばですね。
同じ格好の集団が一斉に同じ行動をするって、虫の大群みたいに見えません?
虫自体は別に嫌いじゃないんですよ。キレイな虫はもちろん、なんならゴキブリだって、単体なら別に怖くもなんともありません。
でも、それが集団になると、生理的にぞわぞわっとして、ムリ。

しかも虫の大群って、個々の意思じゃなくて団としてひとつの意思を持ってる感があるじゃないですか。哺乳類や鳥類、爬虫類や両生類と比べても、格段に個体毎の意識の差を、個性ってヤツを感じない。

だから、この映画であのコロニーの住民が、その祝祭が、行為そのもの以上にただたただ気持ち悪い。似たような格好、似たような動き、相手に同調した泣き声、叫び声。
こういう集団は、暗いよりも明るくてよく見える方が気持ち悪さを出しますね。
闇夜に松明持って立ってる方がまだマシ。

そういう生理的嫌悪感は今回もしっかり感じはしました。
が、一方で、いちいち「ここでこんなことが! あっ、ここもこんなことに! ああっ、この顔ってあいつだったのか!(この顔を見逃していた自分に蹴りを入れたい)」と、過去の自分にツッコんでいたので、結局のところ、恐怖の対象はより一層、自分の老眼度合に向かう羽目に
ああくそ、もう一度真っ新な気持ちに戻って観ることはできないものか。

アリよ、2021年の今、君は35歳だね。ならばあと十数年もすればわかるだろう。
その時にこの映画を見直して、思うところがあれば是非、今度は中高年(の目)にも優しい映画を作ってくれ。

 

*1:アリ・アスター監督の長編処女作で、トラウマ観客量産映画。悪魔だカルトだで歪みまくったファミリー・ホラーで家族愛は強しと思ってる人ほど絶望する。そして何より主演のトニ・コレットの顔が怖すぎる

『Mr.ノーバディ』男の自己肯定感とはとどのつまり……(ネタバレはごく微量)

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なにやらペースが月1更新になってきましたが、まあ自己都合ブログですからね。気にしませんよ(と、言い訳するあたり……)。

さて、観たのはちょっと前になるんですが、『Mr.ノーバディ』。
最近、主演のボブ・オデンカークがドラマの撮影中に倒れて緊急搬送されるというニュースがありまして、心配していましたが搬送先で意識を取り戻し現在は入院中のようです。
良かった良かった。ゆっくり養生して元気になっていただきたいです。

ただこの件を知った瞬間は、『Mr.ノーバディ』に気合い入れすぎて心臓に負担かかってんじゃねーか?と思っちゃいましたよ。

一見してごく普通の中年男が、世の中の理不尽に怒りを爆発させて大暴れし、やがて武装集団やマフィアを相手に激しい戦いを繰り広げる姿を描いた痛快ハードボイルドアクション。「ジョン・ウィック」の脚本家デレク・コルスタッドと製作デビッド・リーチが再タッグを組み、人気テレビシリーズ「ベター・コール・ソウル」の主人公ソウル・グッドマン役で知られるボブ・オデンカークが主演を務めた。郊外にある自宅と職場の金型工場を路線バスで往復するだけの単調な毎日を送っているハッチは、地味な見た目で目立った特徴もなく、仕事は過小評価され、家庭では妻に距離を置かれて息子から尊敬されることもない。世間から見ればどこにでもいる、ごく普通の男だった。そんなハッチの家にある日、強盗が押し入る。暴力を恐れたハッチは反撃することもできず、そのことで家族からさらに失望されてしまう。あまりの理不尽さに怒りが沸々とわいていくハッチは、路線バスで出会ったチンピラたちの挑発が引き金となり、ついに堪忍袋の緒が切れる。監督は「ハードコア」のイリヤ・ナイシュラー。共演に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のクリストファー・ロイド、「ワンダーウーマン」のコニー・ニールセンほか。

(映画.comより)

そもそもオデンカーク、これまではアクションとは無縁といってもいいキャリアだったんです。
それなのに、この映画のアイディアを思い付いた彼は、どーしても主役を自分で演じたいがために企画が形になる前から2年かけて肉体改造に取り組んでいたそうで。
いやはや、実はとんだ中二病オヤジだったんですよ。

あの、このブログを読んでくださってる皆さんは薄々察してると思いますが、ボブ・オデンカークってこれまで私の眼中になかった役者でしてね。
だって『ブレイキング・バッド*1も『ベター・コール・ソウル』*2も観てないんです、私。正確には3話目くらいで挫折。
だって、続き物のドラマって苦手なんだもーん。

だから、とにかく新鮮でした。
この映画は、すでにアクション映画界では一大ジャンルとなっている(?)「なめてた相手が最強でした」映画なんですが、本当にアクション映画に染まってない役者が演じているのって新鮮で。

なにせ、最近の「なめてた相手が最強でした」映画は、もうこちらも演じている俳優に慣れちゃってるんですね。
映画冒頭でなめられまくってるエピソードが続いても、「あーあ、後で知らんぞ~」と思うところから入るんで、期待感はあっても予想外はないわけで。
だって、キアヌ・リーブスだし、シルベスター・スタローンだし、ブルース・ウィリスだし、ジェイソン・ステイサムだし。
リーアム・ニーソンなんて、ふつーあんなデカい男(身長190㎝超え)をなめてかかるとか、すげー勇気ある奴か超のつく馬鹿かどっちだろう、思う訳ですよ(でも考えたら、リーアム・ニーソンに直球で因縁つける話は少ないか)。

ともかく、やや安定していた「なめてたオヤジが最強でした」市場に、久々に目垢がついてない役者が泥臭いアクションで揺さぶりをかけに来たのです。
そしてそれは大成功でした!いやあ痛快!

ぶっちゃけ、展開には驚かないです。
どんな裏設定があろうとも、「なめてたオヤジが最強でした」という一言で内容は集約されますから。
家族がオヤジを見直す展開のくだりは、シュワルツェネッガーの『トゥルーライズ*3を思い出しました。
強いて新しいことといえば、「なめてたオヤジと、もっとなめてたジジイも最強で、揚げ句兄弟も最強で、権力のバックアップまであった」ってところでしょうか。
RZA*4の存在意義がいまいちわからないままですが、面白かったし好きなんで気にしない気にしない。

しかし再確認しましたね。オスというのは、戦うこと=自己肯定感につながってるんだなと。
私、よく男→女へのセクハラに対する反撃(反論ではない)で「オスは黙って戦って死ね」という暴言(暴論ですらない)を吐きます。
前世が戦士の私からしますと、セクハラするヤツってなあ、自己肯定感が低くて、かわりに必死で自分より弱い相手を探してマウント取りにいくチキン野郎にしか思えないんですね。
そんなことするより、正々堂々、剣を交えて闘いませんか? 受けてたちますぜ、と、思ってしまう(というあたりが前世戦士ゆえ)。

まあね、さすがに本気で戦って死ねとは思ってませんが(全員には)、まあ何に向き合うにしろ戦闘モードであることというのは、オスがオスたる所以なんじゃないかなと。
ここで言う「戦闘」っていうのは暴力ってことじゃなくてですね、仕事でも趣味でも育児でも家事でも、向き合いかたが戦闘モード攻略するとか極めるとか、そういった状態のこと。
たとえ、世間から男らしくないなどと理不尽な言われ方する職業や趣味であっても、男性の向き合い方はやっぱり攻めて極めるモードが多いような印象です。

よく、男性が好きなものに話をするとスペックやデータを語りだし、女性はかわいいとか感覚の話になって噛み合わないこと、ありません? ああいう違いですよ。
アクション映画で女性が武器のスペックの話したりしますが、あれちょっと男性目線に偏ってるなと思います。
私も比較的スペック好きですけど、リロードの音が爽快!ってのが本質ですからね。

♂「この場合は武器はこれがセオリーだ」

♀「こっちの方がリロードする度、気合いが入るのよ」

なんて会話、してみたいわ。

何かを極めてる女性でも、元をただせば「好き好きー」と盛り上がっていたら結果として極めちゃった、ってところにたどり着いただけで、極めること自体は目的ではなかったりします。
いまオリンピックやってますけど、いや正直ほとんど観てないんだけど(ラグビーBritish&Ireland Lionsツアーと丸かぶりだもんで*5)、比較的女性のアスリート、特に日本やアメリカの女性アスリートが概して辛そうに見えるのは、極めることそのものを目的にすることが本性に反しているからじゃないかなあと思います。

男性ももちろん好きがスタートだったりするでしょうが、結局は極めることそのものに快感を覚えるというか。なんだか字面だけみると違う意味になりそうですが、あながちそーゆー捉え方で間違ってない気もします。
いやいや、女性を喜ばせるのが好きな男性もいるぞと言われるかもしれませんが、そういうタイプは女性を喜ばせることを極めてる訳で、やってることに違いはあっても本質は同じです。
……って、一体何の話をしてるんだ、私は。

ようするにですね、世の男性から全ての牙を抜くと、この映画の冒頭のようなnobadyになっちゃうわけです。
例えその牙が女性目線からは「なんでそんなことに燃えるんだこの中二病野郎」と思えるものであっても、我々女性は生温かい愛情でもって見守りつつ、この映画のように地下室のある家を探すくらいのおおらかな気持ちでいた方が、まあうまいこといくんじゃないかなと思うわけです。
ただし、男性側も戦闘モードを発揮するのなら、いやそもそも発揮できずに自信が持てないなら、セクハラパワハラなんてド底辺でマウント取るようなマネをして自分をごまかすよりも、まずは女性への向き合いかたを極めていただきたい
その方が男女共に満足するのではなかろーかと。

あ、いや、そーゆー意味ではなく!
いや、そーゆー意味も含まないでもないけれども!

*1:余命わずかの高校教師が麻薬王になるドラマ。大絶賛ドラマなんだが私はノれず。オデンカークは登場人物の一人、弁護士ソウル・グッドマン役。

*2:ブレイキング・バッド』のスピンオフ。オデンカーク演じる弁護士ソウル・グッドマンが主役

*3:凄腕スパイなのに家族にはその事実を隠して活動しているため、家族からなめられまくってるシュワちゃんが夫として父として威厳を取り戻すべく頑張る話(という記憶)。監督が結婚→離婚を繰り返すジェームズ・キャメロンだと思うと、何やら味わい深い。

*4:アクション映画が大好きなミュージシャン。

*5:4年に一度結成される、ラグビーイングランドウェールズスコットランドアイルランドの選手からなる混成チーム。このチームが、4年ごとにニュージーランド、オーストラリア、南アフリカに遠征してその国のクラブチームやナショナルチームと戦う。メンバーに選ばれる方も名誉だが、相手国選手にとっては12年に一度しか対戦するチャンスがないため、これがホントの一生に一度。