前世戦士の映画日誌

前世が戦士らしい女が映画を観て色々吐き出します 生態日誌です

『二ツ星の料理人』セイフティ・ネット総動員映画

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2020年の大晦日は姉の一人と過ごしたのですが、話の流れでこの『二ツ星の料理人』をを観ようということになり、うっかり観ながら年越ししてしまいました。
つまり、2020年最後に観た映画も、2021年最初に観た映画もこれ。
やらかした感満載。

世界にひとつのプレイブック」「アメリカン・ハッスル」、そして「アメリカン・スナイパー」と3年連続でアカデミー賞にノミネートされたブラッドリー・クーパーが、問題を抱えた天才シェフを演じた主演作。一流の腕を持ちながら、トラブルを起こし、すべてを失った料理人アダム・ジョーンズ。パリの二ツ星レストランから姿を消して3年後、アダムは料理人としての再起を図るため、ロンドンの友人・トニーのレストランに「この店を世界一のレストランにしてやる」と、自分を雇い入れる約束を取り付ける。かつての同僚ら最高のスタッフを集め、新しい店をオープンさせるアダムだったが、未解決のままの過去のトラブルの代償が大きくたちはだかる。監督は「8月の家族たち」のジョン・ウェルズ。クーパー扮する主人公アダムを支える仲間役で、シエナ・ミラーダニエル・ブリュール、オマール・シーが出演。その他にもユマ・サーマンエマ・トンプソンアリシア・ビカンダーら実力派キャストが集結。

2015年製作/101分/G/アメリ
原題:Burnt
配給:KADOKAWA
(映画.comより)

 

素行が悪くて業界から叩き出された元二ツ星シェフが、三ツ星を取るため再起を図るけど、やっぱり傲慢が過ぎて周囲と衝突。でも最後は心を入れ換えて、仲間も恋人もできてハッピーエンド。

っていう映画が嫌いなわけじゃないんですよ、実は。

この手の映画の筋は定石どおりだから、あまり考えなくていいとこが好きなんですよ。
その分、役者を愛でる暇があるし、そこがいまいちでも、厨房や業界の舞台裏が面白かったりするし。
それすらダメでも、出てくる料理が美味そうなら花丸というくらい、料理人映画は楽しみのセイフティ・ネットがたくさんあるのです。

そもそも私、映画に対するセイフティ・ネットって、たくさん持ってますからね。
テンポは悪いけど話は面白いとか、脚本はダメでもカメラがいいとか、演出はイマイチだけど役者が魅力的とか。
全てが満点の映画なんてそう無いんですから、基本、何見てもセイフティ・ネット発動ですよ。あとは好みかどうかってだけで。
そして私は、「いろいろダメだけど、やりたいことだけは分かったからいい」という、超頑丈なセイフティ・ネットを常備してるんでね。

ところが、その最も頑丈なセイフティ・ネットすらブチやぶり、久々に地面すれすれまで落ちたのがこの映画。
普段は本能的に避けてるんだけど、年末年始で感覚狂ったか。

私はこういう映画を「ね、わかるでしょ?映画」と呼んでいる。
これは、「ジャンルはこれで、主人公はこんなキャラで、主演は○○。回りにはあれとこれなキャラ。それでだいたい、ね、わかるでしょ?映画」の略。

定石ストーリーを言い訳にして、雑なキャラ設定とあらすじ以外、作りたいものも撮りたいものも、見当たらない映画はダメなんです。
この映画の場合は、「傲慢な元二ツ星シェフをブラッドリー・クーパーが演じてるから、ね、わかるでしょ?」で、押しきろうとした映画なんですよ。

クーパーって愛嬌といい奴オーラがあるから、『アメリカン・スナイパー』みたいな役柄でも、私は彼を嫌な奴とは思えなかった。
だからクーパーを主人公のアダムにもってくれば、「傲慢だけど憎めない男」だと観客が勝手に認識してくれると思ったらしい。

いや、さすがにこの演出じゃ無理だから。
アダムのやってることがあまりに酷すぎるし、「実はいいトコあるよエピソードだ」として提示された場面は、あまりに唐突過ぎて、ちっともそうは思えない。
やはり、過去なり人物なりを想起させるシーンはちゃんと作っておくべきだったと思うの。
だって、観てるこっちも嫌な気分になるんですよ。いつもあんなに可愛いクーパーが、ひたすら嫌なエキセントリックな奴で。
アメリカ人の考える星つきシェフって、エキセントリックで嫌な奴ってイメージなのかね?

せめて料理くらい美味そうなら良かったんですけどね。
せっかくの料理もチラ見せ程度だし、最先端の調理法だかなんだか知らんが、味が全く想像できなくて。
あんた達が私に何をみせたかったのか知らんが、全部失敗してるよ!

じゃあなぜこの映画がギリギリ地面に激突しなかったかと言うと、アダムを支えるレストランオーナーのトニーが可哀想で!
彼はアダムを愛してるけど、アダムはストレートなので片思いなんですね。しかもアダムはそれをわかっていて、トニーに散々甘えるというクズ野郎っぷり。
報われないトニーのために、最後まで頑張って観ましたよ(なに、この動機)

ということで、2021年は、人様の恋路を応援して始まりました。
いったいどんな年になるのやら。

 

アメブロ更新:「好き」と「詳しい」と「拘り」は同じじゃない

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アメブロ更新しました。

コーヒーが好きだと言ったら、こだわりのある人と思われて、とったつもりもないマウントを取ってるような状況になってしまったので、書いてみました。

題材はコーヒーですが、映画でも似たようなことはありますね。私も若いころは、知ったばかりの知識を振りかざして、マウント取りにいく嫌な奴でした。

情報量やこだわりに重きをおくようになると、いつの間にかシンプルな「映画が好き」という気持ちを見失ったりします。
「映画が好きだから語っちゃう」と「映画を語るのが好き」の間には、えらい差があるように思います。

ameblo.jp

『マウス・オブ・マッドネス』我が生涯ベスト1映画(ネタバレなし)

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2021年、自分自身の原点回帰のため『マウス・オブ・マッドネス』を観ました。
理由は記事のタイトルそのまんま。4歳から映画を見続け40年以上経ちましたが、この映画を観て以降、生涯ベスト1が揺らいだことはありません。

私を映画の世界に引きずり込んだという意味では、『スター・ウォーズ』が一番です。
でも、最初は、監督のジョン・カーペンターと主演のサム・ニールが大好きだからというだけで観たこの映画に、出会ってしまった。
この映画で、自分なりの映画の見方、あるいは価値基準とでもいうものが出来上がったんです。

保険調査員のジョンは失踪した作家サター・ケーンの捜索を依頼される。やがてジョンは編集者のリンダとともに、ケーンの小説に出てくる架空の町にたどり着く。不可解な出来事が相次ぐ中、ジョンはケーンを見つけるが、彼の新作小説「マウス・オブ・マッドネス」に絡む恐ろしい企みを知る一方、次第に正気を失っていくことに……。現実と小説の中の世界が交錯する幻想的な怪奇ホラー。

1995年製作/96分/アメリ
原題:In the Mouth of Madness
(映画.comより)

私が生涯ベスト1だとあまりに力説するので、以前、興味を持った同僚にDVDを貸したことがあります。
彼は「よく筋がわからなかった。でも飛ばさずちゃんと観たよ」と言い、そしてその後のことを正直に教えてくれた。

「何年も夢なんか見なかったのに、夢を見たよ、悪夢みたいな。よく覚えてないけど、何度も殺されて甦ったりするんだ」

この映画について、おそらくこれ以上に素晴らしい感想はないだろう。
そうなんだよ、訳がわからないけど、魂にざっくり爪痕を残すんだ。

この映画、最後まで見ても、現実なのか夢なのか映画なのか小説なのかわからない。わからないまま、映画の世界に呑み込まれてしまう。
邦題だと前置詞がないので間の抜けた感じになっちゃってるけど、原題は"In the mouth of madness"。つまり「狂気の口の中で」。
映画を観ているうちに、主人公トレントも私たちも、狂気の口の中に呑み込まれてしまう。

この映画のラストは、どんでん返しと言えなくもない。でも、他の映画とは違う。
ラストで実は今までのは、という映画はいくつもあるけど、この映画にはその「実」がない。
ラストが現実なのか非現実なのかわからない、って映画もある。でもこの映画にはそもそも対照とする現実があるのかどうかわからない。

説明は、一切ない。でも観ると何かは伝わってきて、まるで経験したかのように自分の中に刻まれる。

この映画を観て、私は自分が「映画」と呼ぶものの正体が、はっきりとわかった。

ああ、これが映画なんだ。

映画には、説明はいらない。

物語は、映像で語れ。

映像に、全てをぶちこめ。

私は『映画秘宝ディレクターズ・ファイル ジョン・カーペンター 恐怖の倫理』という、鷲巣義明さん*1の本を持っています。ここに収録されている、『マウス~』についてのインタビューで、カーペンターが最後に語っている言葉が大好きです。日本の観客に向けてひとこと、と言われて彼はこう言った。

黒澤明監督はかつてこう言っていたよ。"映画監督にメッセージがあれば、ボードを持って見せればいい"って。映画監督にメッセージはない。全部映画の中に入っているよ……映画を観て欲しい。映画を観て楽しんで、死ぬほど怖がってほしい。

(111ページ下段)

この言葉で、自分が開眼したものが間違ってなかったと確信しました。鷲巣さん、ありがとうございます。カーペンター作品観る度に読んでます。大事にしてます。勝手に引用してすみません。

もちろん、作り手が映画に込めたものをより深く理解するために、インタビューや解説を読んだり、題材について調べるのは大事なことだと思う。
そうして蓄えたものは次に活かされて、映画から受けとれるものがもっと増えるから。

でも、私たちがまっさらな状態で観た時に、訳がわからなくても、作り手が映画に託した何かを受けとれれば、映画を観た意味は十分にある。

同僚にとって、『マウス~』は「悪夢を見させた映画」として多分ずっと残るだろう。
私にとって、『マウス~』は映画そのものだ。

初見から20年以上たった今、改めて断言する。

あと100年私が生きたとしても、これが生涯ベスト1だ。

映画秘宝ディレクターズ・ファイル ジョン・カーペンター 恐怖の倫理

映画秘宝ディレクターズ・ファイル ジョン・カーペンター 恐怖の倫理

  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

*1:日本でジョン・カーペンターの第一人者と言えば鷲巣義明さん、というほどのライターでカーペンター研究者。

『ワンダーウーマン 1984』ダイアナとジェームズのように生きていきたい(ネタバレあり)

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どうしてもどうしてもどうしても、どおおおおおしても、この映画だけは2020年のうちに観たくて、観た。

2020年、劇場で映画を観たのは『ワンダーウーマン1984』を入れて3本しかなく。これはコロナのせいというより、仕事で疲弊しすぎて映画館まで行くパワーがなかったから。
ちなみに観た映画は『地獄の黙示録*1と『ランボー ラスト・ブラッド』。チョイスが私の精神状態そのまんま。

なのになぜ『ワンダーウーマン1984』なのかというと、主人公ダイアナが大っっっ好きだから。
我が家の「好きなものコーナー」には、真ん中に「映画秘宝」の扉絵になってた、長野剛さんが描いたダイアナがどーんと貼ってあります。

戦士として憧れるのはシャーリーズ・セロン様(ついに「様」を付けだした)だけど、最終形態としてこうなりたいって思うのは、ダイアナなんですね。

DCコミックスが生んだ女性ヒーロー、ワンダーウーマンの誕生と活躍を描き、全世界で大ヒットを記録したアクションエンタテインメント「ワンダーウーマン」の続編。スミソニアン博物館で働く考古学者のダイアナには、幼い頃から厳しい戦闘訓練を受け、ヒーロー界最強とも言われるスーパーパワーを秘めた戦士ワンダーウーマンという、もうひとつの顔があった。1984年、人々の欲望をかなえると声高にうたう実業家マックスの巨大な陰謀と、正体不明の敵チーターの出現により、最強といわれるワンダーウーマンが絶体絶命の危機に陥る。前作でもメガホンをとったパティ・ジェンキンス監督のもと、主人公ダイアナ=ワンダーウーマンを演じるガル・ギャドットが続投し、前作でダイアナと惹かれあった、クリス・パイン演じるスティーブも再び登場する。

2020年製作/151分/G/アメリ
原題:Wonder Woman 1984
配給:ワーナー・ブラザース映画
(映画.comより)

だから「ダイアナになりたい」と願うバーバラ(ダイアナの同僚)の気持ちは、すごくよくわかります。
私だって美人で可愛げもあってスタイル良くてお洒落で頭良くて仕事できてコミュ力高い、ダイアナみたいな女性になれるもんならなってみたい。
でも今作で痛感したのは、バーバラ筆頭に、私たちフツーの女性が単純に「なりたい」ってパッと思うダイアナ像って、ダイアナの構成要素の一部に過ぎないんですよ。

ダイアナが魅力的なのは、彼女は自分が何者なのかはっきりわかっているから。
ダイアナがをダイアナたらしめていることは何か。
物語を通じて成長はしていくけど、彼女の根本は最初からずっと変わりません。
世界を救う愛の戦士、それがダイアナ。

でも、いろんな出来事があって、ダイアナは信じていた自分がグラグラ揺らいでしまう。
そこで重要な役割を果たすのが、ジェームズなんですね。

ジェームズも、ダイアナ同様、自分が何者かわかっています。
だから彼は、ダイアナと自分を比べて自分を卑下したり、逆にマウント取りにいくような、自己評価の低い人間がやりがちなことは全くしない。
もうそういう男ってだけで、惚れるのに十分すぎるほどイイ男。

そしてさらに、彼はダイアナがダイアナであることを、尊重することができる。
しかも、そうすることが、ジェームズがジェームズであることと矛盾しないので、彼はダイアナを頼ることも助けることも当たり前にできる。
だから、自分の存在を消せと、躊躇なく言えてしまうのです。

ダイアナの本当の願いが「ジェームズといたい」ってことなのは嘘じゃない。でも破滅した世界でジェームズと一緒にいたところで、彼女は「世界を救う愛の戦士」だから、本当に幸せになることはない。
自分が自分自身であることと引き換えに手に入る幸せなんて、多分、この世にはないんだろう。願いの石のせいで世界がおかしくなるのは、そのせいかもしれません。

自分自身でいようとすることは、実は結構タフな道のりです。ありのままの自分でいることは、そうしようという強い意思が必要です。
ダイアナとジェームズは、どんなに辛くても必ず自分自身でいることを選択する、そういう強さを持っている。
私もそうありたくて、二人の別れのシーンからはひたすら泣いた。
プレミアシートなのをいいことに。

映画は、バーバラが願いを取り消したがどうか、わからないまま終わってしまう。
彼女は私たちの姿でもあるから、私たちが「願いを取り消したい」と思えば取り消すのだろうし、そうでないなら取り消さないままなんだろう。

私はね、取り消したと思いたい。私は、私自身でありたいし、そうする強さが欲しいから。

 

ということを書いて2020年を終えるつもりでしたが、間に合わなくて2021年になりました。まさかの『ディープ・ブルー』が2020年最後の投稿になり、軽く動揺しています。

まあでも、そんなところも含めて、私はそういう私でしかないのでねー。
だから、今年は自分自身であり続けるぞと、宣言して始めたいと思います。
本年もよろしくお願いします!

 

*1:1979年のフランシス・フォード・コッポラ監督のベトナム戦争映画。私が観に行ったのは2020年2月末に公開されたファイナル・カット版。コロナで新作が少ないからか巨大なスクリーンで、この狂った映画を観た。映画に完全に没入し、観ていた自分も狂ってた。

『ディープ・ブルー』サメとオムレツと諦めないレニー・ハーリン(ネタバレあり)

 

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12月に入ってから、朝食にオムレツを作って食べることが増えました。今までは目玉焼きだったんです。洗い物が少なくて済むから。
まあでも、ボウルの一つぐらい洗う時間(と気力)はあるわけで、なんとなく作るようになりました。
一度として、表面を割らずに皿に乗せられた試しがありませんが。

何度もオムレツを作っていたら、猛烈に見たくなったのがサメ映画の傑作『ディープ・ブルー』。
オムレツといえば『ディープ・ブルー』一択ですよ。
Netflixで観ようかなと思っていたところ、昼にテレビつけたら放送してた。
求めよ、さらば与えられん。

海上のハイテク研究所を舞台に、高度な知能を持ったサメとその研究所に閉じ込められた人々の死闘を描いたアクション・サスペンス。監督は「ロング・キス・グッドナイト」のレニー・ハーリン。脚本は『ZERO Gravity』のダンカン・ケネディ、ドナ・パワーズとウェイン・パワーズ。(途中略)出演は「シン・レッド・ライン」のトーマス・ジェーン、「恋はワンダフル!?」のサフロン・バローズ、人気ラッパーである「トイズ」のLLクールJ、「交渉人」のサミュエル・L・ジャクソン、「コップランド」のマイケル・ラパポート、「エンジェル・ベイビー」のジャクリーン・マッケンジー、「RONIN」のステラン・スカルスゲールドほか。

1999年製作/105分/アメリ
原題:Deep Blue Sea
配給:ワーナー・ブラザース映画

(映画.comより)

どうしてオムレツとサメ映画がセットなのかと言うとですね。わき役で登場する、LL・クール・J演じるコックが、とにかく面白いキャラで。
その彼が、終盤で自分の遺言ビデオ(スマホなんかない時代なんで)を撮るんですが、そこで「オムレツを作るときは卵は2個。素人は牛乳をいれるけど、あれは間違いだ」と言うんです。
……って、ただそれだけなんですが、このシーンが面白くて。

で、オムレツ作りだしてから、セリフの後半「牛乳を入れるのは間違い」ってところは覚えてたんで実行してるんです。
でも、卵が何個なのかが思い出せなくて。
2個だったか、3個だったか……。
映画観てすっきり。2個でした。

それにしても、サメ映画なのにサメが印象に残らなという、謎の名作です。
姿をほとんど見せないのにサメが怖すぎる『JAWS』と比べるのは可哀そうですが、アサイラム謹製の『シャーク・ネード』シリーズ*1よりも印象が薄いというのは、いかがなものか。あれに出てくるサメは、怖いんじゃなくて面白いんだけど。
かなりお金をかけて、CGやロボットでサメを作ったらしいです。でも、登場人物がサメにやられちゃうタイミングが絶妙すぎる余り、怖さより驚きの方が大きくて、サメ自体はどうでもよくなる。

しかも、サメ相手に一番戦っているのは、一番タフガイのはずの主人公カーターではなく、オムレツの作り方を話したコックなんですよ。
カーター、サメとしっかり対戦するのは、最後だけ(しがみついてるだけとも言う)。他は、扉を開けたり、扉を閉めたり、水に潜って扉を閉めたり、エアロック開けるために水を入れたり……。
あら? 開けたり閉めたりしてる印象しかないわ。

わかりますでしょ、コックが人気なのも。
サメと戦う映画なんだから、ちゃんと戦ってる人が好かれるんです!

こんな映画なのに面白いのは、監督が、フィンランドが生んだ変人レニー・ハーリンだから。
この人、ものすごく面白いもの*2と、ものすごく面白くないもの*3を両方作れるんですよ。正確には、面白くない映画の方が多いんですけど。
ディープ・ブルー』の場合は、そのレニー・ハーリンの面白いところと面白くないところを足したら、計算間違えて滅茶苦茶面白くなったという。あんまり売れなかったようですが、ハーリン映画の中では大好きです。

多分、能力って意味では、他のブロックバスター監督たちと比べて、彼は映画づくりが上手くないんですよ。
でも、作品みてると、彼がやりたいことだけはちゃんと伝わるんですね。だから、コケてもコケても映画を撮り続けていられるんだと思います。
ただ、それを実現するのに呆れるほど大金が必要なことと、同じくらい赤字を出すってだけで(やっぱり迷惑かも)。

ちょっと調べたら、ここ数年は中国で映画を撮ってるようです。
映画を撮りたい一心で故郷フィンランドを出てアメリカに渡り、今は中国。
ブレずにやりたいことがあるのなら、生きてく道はあるんだなあ。

明日は31日。
晦日の朝食は、卵2個のオムレツで決まりです。

 

*1:アサイラム社といういつかどこかで観たような映画をまねて、低予算でB級C級D級映画を作る会社の、代表作。観なくても映画生活に何も困らないのに、うっかり観て後悔することを繰り返す、謎の魅力がある。

*2:ダイ・ハード2』と『クリフハンガー』。あれ……『クリフハンガー』、面白い、か……?

*3:『カット・スロート・アイランド』の赤字額はギネスにのったし、映画会社も倒産した。最近ではドウェイン・ジョンソンじゃない方の『ザ・ヘラクレス』でボロカスに言われた。観たけど、弁護できない。

『パピヨン』スターについて経理の課長に言いたかったこと

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新入社員の頃、飲み会で経理の課長から声をかけられたことがありまして。課長は映画が好きだそうで、私の趣味が映画鑑賞と知って、話してみたくなったらしい。

「しのぶさん、映画が好きなんだって?」
「はい」
「じゃあ、映画スターにとって、何が一番大事だと思う?」
「顔です!」
「ああ、そう。ふふん」(ホントにふふんと言ったんだ!

そう笑って、課長はさっさと席を立っていきました。
その後二度と、仕事以外で会話したことはありません。

あの時、課長が言った「ふふん」は、「ようするに、美男美女ってことだろ」みたいな意味合いだったと思っている(たぶん間違ってない)。
新入社員だったからとはいえ、食い下がって説明できなかったことが、いまだにものすごく悔しいのですよ、私。

その記憶が、久々にオリジナル版『パピヨン』を観ていて、ふつふつと沸き上がって来たので、ここでそのうっ憤晴らしをしたいと思います。

無実の罪で13年間の刑務所生活を強いられたアンリ・シャリエールの実話に基づく小説を、スティーブ・マックィーンダスティン・ホフマンの2大スターで映画化。監督は「猿の惑星」「パットン大戦車軍団」のフランクリン・J・シャフナー。胸に蝶の刺青があることからパピヨンと呼ばれる男。身に覚えのない殺人罪終身刑を言い渡された彼は、自由を求めて脱獄を繰り返した末、親友のドガと共に脱獄不可能とされる孤島に送られる。

1973年製作/151分/G/フランス・アメリカ合作
原題:Papillon

(映画.comより)

主役のパピヨンをマックイーン、親友ドガをホフマンが演じました。
実は『パピヨン』はもう一作あって、チャーリー・ハナム&ラミ・マレック主演のリメイク版があります。
こちらは公開時に映画館で観ました。基本、筋は一緒で、リメイクの方がテンポが良くて観やすい。

でも、印象に残るのは、オリジナルの方なんですよ。
映画全体じゃなくて、場面。正確にいえば、スティーブ・マックイーンの顔なんですね。
美醜とか好みの話じゃありません。正直、顔だけなら、私好みの俳優、出てないし。

ただ、チャーリー・ハナムは、体が好きで。
そもそもリメイク版を映画館で観たのは、ハナムの体目当てと言っても過言ではない。
エロ目線だけじゃないですよ(ゼロではない)。ハナムって、体の動きで表現するタイプなんだと思うんですよ。

裸で殴り合うアクションでも(ここだけで元は取った)、動きの少ない静かな演技でも、理不尽への怒り、生への執着、脱出への執念、そういったものを、腕や首や背中の筋肉ひとつひとつが、静かに訴えてくるようで。

パピヨン』で一番衝撃的なのは、過酷な環境下の独房シーンです。食べ物も明かりもほとんどなく、パピヨンは精神的にも肉体的にも追い込まれていく。
狂気と正気、燃え尽きそうになりながらも消えずにいる命。そういうものを、ハナムは全身で演じてました。

でもね、マックイーンは、それらを全部、顔だけでやってのけた。

私は、マックイーンのことは、すごく演技が上手いとは思っていなくて、演技だけならこの映画でもホフマンの方が上だと思ってます。ラストシーンなんか、個人的にホフマンの出演作では屈指の名演技だと思う(毎回、ここで泣く)。
独房でのマックイーンによる狂気の表現は、一歩引いて見れば、大袈裟でやり過ぎとも見える。元々、カッコつけでオーバーアクトな役者だし。
でも、それでも、マックイーンの顔の方がいい。

マックイーンは、何を演じても、顔に「スティーブ・マックイーン」が残ってます。この映画でも、彼は自分の顔の下にパピヨンを重ねただけで。
マックイーンは、「マックイーンじゃない役」は演じなかったし、できなかった。
その代わり、本人と役、二人分の男が重なった顔は、演技というより、ある種の真実なんです。
これに勝るものって、ないですよ。

ハナムは、体をみてると「チャーリー・ハナム」がちゃんといるのに、顔にはいなくて、「パピヨン」だけになってしまう。
体目当ての私はいいけど、顔の自己主張が足らんのよ*1

そこが、スターとして、大中小の差がついてしまうところ。
何を演じてもスター本人の顔が消えない。それでいて、役と同化している。
それが私の考える大スター*2

そういうことを言いたかったんだよ、あのクソッタレ課長に!

悔しいので、今ここで改めて、経理課長だったヤツに言う。

スターにとって大事なのは、顔だからな、鈴木!

 

 

*1:ハナムが好きな私でさえ、急に顔だけみると、チャニング・テイタムと一瞬迷う。その場合、髪の色と体で区別する。

*2:現在のこの手の代表はトム・クルーズ。スパイをやろうが、ダメ親父をやろうが、モテ男製造自己啓発セミナー伝道師をやろうが、全てがトム。さすが思う一方、自分を晒して演じる彼のようなスターは、生きていくのが辛そうだ。

アメブロ更新:クリスマスの凄さの話

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アメブロを更新しました。

元々は、この映画ブログの更新お知らせを書いてただけだったんですが、気づけばクリスマスについての雑な考察を始めてしまい、完全に別物になってしまいました……。

気が向きましたら読んでみてください。

ameblo.jp